はじめまして!
「おうちワーク協会認定講師」の安田佐智です。
ブログを通していろんな人と出会い、共感し、夢を語り合いたい、
そしてこれからブログで稼ぎたい、というかたのお手伝いがしたい!
このプロフィールを通して、私に親近感や信頼感をもっていただけたらいいな、と思います。
私のことを簡単に紹介すると「前向き」「楽観的」「社交的」な人間です。
自己紹介をご覧ください。
現在の私は・・・
オーストラリア在住(2001年から)
シングルマザー
2人の男の子の母
アラフォー
パートで働く
副業ブログで稼ぐ
好きなこと:家族や友人と過ごす時間、社交スポーツ、ハイキング、アウトドア、断捨離、効率化
嫌いなこと:家事全般
こんなかんじです。
それでは、私の生い立ちからブログとの出会いまでを紹介します。
幼少期から小学校はのびのび育つ
生まれは高知県で小学校2年生まで野市町という田舎で育ちました。
1歳半年上の姉と双子の妹の3人姉妹で、幼少期は河原や田んぼが遊び場で、どろんこになったり蛇やこうもりをつかまえて遊んでいました。
今でもこのころの楽しい思い出が鮮明によみがえり、キャンプに行ったり自然のなかで過ごすのが大好きです。
オーストラリアに来たのも自然が好きでコアラやカンガルーに会いたい!というのが一番の理由でした。
小学校3年生の時に父の転勤で奈良に引っ越しました。
父はスーパーでお肉の仕入れをしていて、いつも美味しいお肉やソーセージを試食のために持って帰っていたので、私の大好物はステーキ、すき焼き、焼き肉です。
母は看護婦で産婦人科で働いていました。退職した今でも赤ちゃんが大好きで、私の息子たちが生まれたときも本当にお世話になりました。
小学生の頃の私は男の子と遊ぶのが大好きな活発な女の子で、そのころは、男の子に生まれたかった、と思っていました。
部活動に明け暮れた中学、高校時代
中学では姉が入っていたバレー部に双子の妹と一緒に入部しました。
朝練、放課後練、週末練とどっぷり部活動に励み、明けても暮れてもバレーボールのトレーニングでした。
小学校からずっと双子の妹が大親友のような存在で、中学校では部活も一緒だったので絆は強く、今でもそれは変わりません。
友達とのいざこざがあったりしても、いつも話せて信頼できる相手がいてラッキーでした。
高校は姉や妹とは違う学校に進学し、バスケ部に入部。ここでも部活動に明け暮れました。
部活動を通して、かけがえのない友人との出会いがあり、今でもお互いの近況報告をしたり悩みを打ち明け合ったりする仲です。
振り返ると、双子の妹との絆が強くて、孤独を感じたり、友人関係で不安になったりすることが少なく、楽天的、楽観的な性格が形成されていったのだと思います。
短大から就職へ
のほほんとすごしていた中高生時代ですが、短大へ進むためには猛勉強しました。
父は、「別に短大いかずに就職すればいいんじゃない?」という態度でしたが、高校で目覚めた海外・英語への憧れが冷めず、英語専門の短大へ行きたかったのです。
両親は反対もせず、その希望をサポートしてくれました。
そんなに家計に余裕があったわけではなく、授業料が高いにも関わらず、無理をしていかせてくれたのだと後になってわかりました。
一生懸命勉強して、本当に良かったです。
このとき、憧れや夢を持つと、がむしゃらに努力できるという体験をしました。
短大生活2年間は、新しい学びが多く、ボランティア活動(カンボジアに学校を設立するための資金集め、キャンプ場のリーダーなど)にも積極的に参加して、社会に貢献するという実体験を通していろんな形でいろんな人の役に立てるということに喜びを感じました。
就職は英語を生かした職場につきたい!とおもい、海外から輸入した商品を販売している中小企業に就職。
ふたをあけてみると、英語を使う機会はほとんどなく、在庫確認やオーダーの単純な事務作業ばかりの業務。
上司にコーヒーを淹れたり、たばこを買いにいかされたり、外部から来た営業のかたに笑顔で対応すると、年配の女性社員からなにをへらへらしているのだ、と注意されたり、、、
残業は当たり前、真夜中まで飲み会につき合わされる、という日々がつづきました。
刺激のない仕事、付き合い残業、満員電車にすし詰めの毎日を送り悶々とした日々・・・
そんなある時、「日本語教師養成講座」という広告を目にしました。
短大では英語を学び、同時に言語学を専攻していたので、日本語を外国人に教えるということに興味がわき、再び、新しいことを学びたい!という気持ちになってきて、知らないうちに埋もれてしまっていたワクワク感がひさびさに沸いてきました。
日本語を海外に行って外国人に教えたら、海外生活体験もできるし英語も使える!これは一石二鳥だ、と思い、夜間の日本語教師養成講座に通いながら、貯金をして、一年後には海外で日本語を教えるプログラムに参加することが出来ました。
プログラムに参加しなくても、海外旅行すれば外国を訪れることはできますし、英語を使う機会はあったと思います。
ただ、英語の短大に進学することを決めたときの母の口癖が「英語はただの言葉だから、それを使って何をしたいか考えないとね」でした。
新しいことを始めたり、学んだりするときは、「何を目的として学ぶのか」を考えること。
これは、のちのち学んだ事を生かすために重要で「学ぶ」という行為だけで終わってしまわないための考え方を植え付けてくれた母に感謝です。
オーストラリアで日本語教師に!
海外派遣プログラムに参加して、オーストラリアの田舎町で地元のホストファミリーにお世話になりながら小学校で日本語を教える日々。
人生のなかで、一日一日が最も鮮明に記憶にのこる一年でした。
まず、日本語を話せる人は周りに一人もいないし、英語で現地の生徒に日本語を教えないといけない。
人前にたって教える、(しかも英語で)なんてことは初めてだったので、なんと無謀なことをしてしまったんだ、、と思いながらも、毎日、授業内容の準備と演習をし、私の英語力、特にスピーキング力は爆発的に上達しました。
のちのちカナダへ旅行に行ったときに、カナダ人にオーストラリアなまりの英語だね、といわれたときは、なんだか嬉しかったです。
日本で学んだアメリカ英語はオーストラリアでの生活ですっかりオーストラリアなまりの英語に上書きされていました。
生徒たちが、教えた日本語を使って話しかけてくれた時には、喜びと誇らしさでいっぱいでした。
結婚、そして離婚、、、
その後、オーストラリアで知り合った男性とカナダへ一年間ワーホリビザで住み、バイトをしながらバックパックでいろんなところに旅行にいきました。
日本社会からはなれて、異国の地で英語をつかい、いろんな人と出会うなか、自分の意見をもって、それを伝えることのむずかしさをひしひしと感じました.
それでも、意思の疎通がしたいという強い想いがあれば、気持ちって伝わるものだという体験ができました。
そして、カナダでの一年を終え、結婚してオーストラリアに住むことになります。
海外生活に憧れていた私には夢のような出来事でした。
日本での仕事の経験を生かし、日系の旅行会社での事務職につき、その後、学んだ英語実務の経験を生かして地元オーストラリア経営の会社での事務職につくことができました。
仕事をしながら子供も二人生まれ、マイホームをもち、大都市シドニーから少し離れた海岸に近い町に住み、順風満帆な生活でした。
が、その生活がくつがえされるような出来事が起きてしまいました。
あるとき、夫が大事件を起こしてしまい(これはまた別の機会に)離婚せざるを得ない状況に追いやられます。
この事件により、私とこどもたちの生活は一気に変貌してしまうのでした、、、。
シングルマザーとしての生活
離婚によって、諸事情により家計の収入が自分のパートからだけになり、こどもたちが育ってきたマイホームも売り払い、貸家に引っ越しました。
奈落の底に突き落とされた気持ちでした。
毎年、日本に帰ったり国内旅行をしたりという余裕のあった生活はもう続けられなくなりました。
いまや、お金の心配、こどもたちの精神的サポート、自分の精神の病み、などなど人生最悪の暗黒時代でした。
こどもにはお金の心配はかけたくない、と思っていましたが、そんな優雅なことは言っておられず、
「いま、お金がないから、それは無理なんだ」といって、我慢をさせることがふえました。
つらいけれど、現実を伝える。そうするしかなかった、、、。
家族と友人に助けられ、はい上がる
そんなつらい生活にも、「前向き」「楽観的」「社交的」な性格が功を奏して、少しずつ慣れていきました。
楽観的、前向きな親、姉妹をもつと、弱音をはきながらも、なぜか前向きになれるものです。
姉の「スマイルしていれば、脳が幸せだと感じて前向きになれるらしいよ」という言葉を信じて、悲しいときでも鏡をみてスマイルしてみたり。
異国の地で知り合った友人たちは、それこそ家族のように私をいたわり、ささえてくれました。
こどもたちが通う学校の先生やお友達のお父さん、お母さんも、「何かできることがあったら、いってね」と声をかけてくれました。
その一言がうれしくって、がんばれた、、、
ブログとの出会い
シングルマザーで育ち盛りの男の子ふたりを、パートのお給料で育てるのは至難の業でした。
どんなに節約しても、貯金ができない、、、。その日ぐらしの生活がつづき、将来への不安は日に日にますばかり。
どうにかこの状態から抜け出さなければいけない。
フルタイムで働くことを考えましたが、こどもたちの習い事の送り迎えが出来なくなってしまう、、、。
なにか他に稼ぐほうほうはないのか、とネットで探していると「ブログで稼ぐ」という方法に行き当たりました。
昔から、こういったオンラインで稼ぐ方法があるということは知ってはいたものの、自分が発信したいことや、なにか得意なことがないとできないものだと思っていました。
でも、いろいろと調べていくうちに、いろんな稼ぎ方がある、ということがわかりました。
そのなかでも「アフィリエイト」で稼ぐ方法を教えてくれるブロガーさんがいる、ということも。
いろいろなサイトをみていて、共感できる内容のブロガーさんを見つけ、ちょうどサロンを開始するということがわかり、これは運命!と思い迷わず参加することにしました。
ブログ副業で稼ぐ道
サロンに参加し、ゼロからのスタート。
稼がなければならないという、大きなプレッシャーに後押しされながらも、「自己投資」の大切さや、何か新しいことを学ぶには、成功者から学ぶのが近道だということ経験してきたので、迷いはありませんでした。
英語が上達したければ、英語の環境に身をおく、日本語教師になりたければ、養成講座に通う、などした体験から、ズボラなわたしは、目標があるといつも近道を探してきました。
ワクワクや不安をかんじながら、また猛勉強が始まりました。
「成功者に学ぶ」パターンはやはり正解で、1年間でパートの仕事と同じくらいの収入を稼ぐことができ、フルタイム社員という道を選ばなくて、本当に良かった!と思いました。
子供たちの行事や習い事に合わせて、時間の調節ができるし、自分のアイデアや工夫が収入につながる楽しさはなんとも言えません。
ブログをはじめるみなさんに伝えたい事
つらいことも、悲しいことも、くやしいことも、「前向き」「楽観的」「社交的」な性格で乗りこえてきました。
でもこれは、自分一人ではできませんでした。
周りの家族や友人に助けられ、見守られたからこそ達成できたことが沢山あります。
将来の経済的不安を抱えているひと
どうすれば稼げるのか分からない人
家族との時間を大切にしたい人
少し前の自分がそうでした。
そういう悩みをもった人たちのお手伝いがしたい、少しでも役に立ちたい、という思いでこのブログをはじめました。
ブログを通しての新しい出会いや発見に、今は毎日が楽しく、将来への不安もかなり減りました。
今はブログの可能性や、ブログを通して開かれた世界に可能性を感じています。
夢や目標も新たに出てきました。
皆さんの夢はなんですか?
そこに近づくための一歩を踏み出してみましょう!
日本おうちワーク協会について
一般社団法人日本おうちワーク協会は家族のそばで「おうち」で働くという選択肢を広め、子育てや介護など制約のある人も自立し、イキイキと輝ける社会の発展に貢献します